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三浦佑之著『増補新版村落伝承論 『遠野物語』から』
(青土社 2014年7月10日 ¥2.600+税)
【目次】
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旧版 『村落伝承論 『遠野物語』から』
;五柳書院 1987年5月11日(絶版)
「始まりの一冊」讀賣新聞2018年5月20日
【目次】
序章 伝承としての村落
一部<村落共同体の伝承>
第1章 村建て神話-始まりはどう語られるか
第2章 鎮座由来譚-花盗みと夢
第3章 神隠しと境界-封じ込められる神
第4章 伝承の方位-村落は何を語るか
二部<事実譚の表現構造>
第5章 慈母-母はどう語られるか
第6章 証人-狼との一騎打ち
第7章 証拠-田植えを助ける神
第8章 血筋-嬰児殺し
第9章 狂気-家を背負う父親
あとがき/注/引用資料索引
【内容】
柳田国男『遠野物語』に収められた伝承群と古代の説話や民間伝承などを往き来しながら、説話=伝承はどのように読めるのかということを「説話学」の問題として考えたようとした書物である。「あとがき」の一部を引用しておこう。
『遠野物語』に描かれた伝承群から言語表現として何が読みとれるか、ということを考えてみようと思いたったのは、古代文学を専攻し『古事記』や『風土記』の神話や説話を考えてゆこうとするときに感じる、ある種のじれったさのためであった。
限られた文献から読み解いてゆくしかない古代の表現は、どこまで古代の言語表現の総体でありうるのか。古代律令国家の側の論理によって文字化された記・紀・風土記の表現の向こう側に、古代村落の言語表現はどの程度見通せるのか。文字を通して、しかも漢文脈に翻訳された文字を通して、無文字の言語表現はどのように想定できるのか。--今、古代文学の表現を考えようとして誰もがぶつかる
こうした疑問に私なりの解答を試みようとしたとき、私の前に、研究対象としてあらわれてきた作品が『遠野物語』であった。そして、この固有の作品にこだわってみることから、総体としての<伝承論>を試みようとしたのが本書である。とくにここでは、村落共同体の伝承という問題にこだわり続けてきた。それが、私の立脚点であるところの古代の伝承の総体を究明するための一つのアプローチとして有効だと考えたからである。
【書評など】
この本は、私の初めて出した単行本で今も愛着があるし、内容も気に入っている。
まだ初刷が残っているから五柳書院の小川康彦さんには迷惑をかけたことになるが、出していただいた小川さんにはとても感謝している。
(なお、この本で第5回上代文学会賞を受賞した)
次のような書評や紹介をしていただいた。とくに、吉田文憲氏の文章はうれしかった。
*吉田文憲 「『神隠し譚』の構造」 (『現代詩手帖』87.7)
*森尻純夫 「女男」 (『日経流通新聞』87.10.3)
*関根賢司 「三浦佑之著『村落伝承論-遠野物語から』」 (『日本文学』87.11)
*常光徹 「書評・三浦佑之著『村落伝承論』 (季刊『民話の手帖』36号,88.7)
*野村純一ほか編 『遠野物語小事典』(きょうせい 1992.03.20)に立項
(執筆は野村典彦氏)